当たり前だと思っていたしあわせ
2023.04.26 Wednesday
一人っ子の私。
1995年3月16日にこの世に生を受けました。
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生まれたときの体重は2090グラム。
父が50歳、母が45歳の時でした。
先日、私を命懸けで生んでくれた母が亡くなりました。
73歳でした。
母の身体に異変があったのは去年の11月。
そこから入退院を繰り返していました。
私もその頃に母の余命宣告を受け、
時間を見つけて実家のある神奈川県に帰っていました。
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年始。
実家で食べた雑煮。
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関東では、「四角い餅」を「焼いて」、「すまし汁」に入れていただくんです。
去年が最後だったかもしれないと覚悟していましたが、
今年も食べられました。
普段料理をしない父が、「父と母の合作なんだ」と
嬉しそうに話していたのを覚えています。
世界一の雑煮です。
それから約1か月。1月最後の日。
深夜2時に父からの着信があり、胸騒ぎを感じながらスマホを耳に当てました。
お母さんがもう危ない。
わかっていました。けどつらかった。
なに話せばいいかわからないし。
母の返事はつらそうな呼吸の音だけ。
でも、自分の言っていることは理解してくれているみたい。
ありがとう。生んでくれて、育ててくれてありがとう。
これが言えてよかった。
電話を切ってから5分後、母は父をじっと見ながら
息を引きとったそうです。
翌日、実家に帰って見た母の顔は穏やかでした。
父に看取られて亡くなったからでしょう。
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両親は長い期間、ボールルームダンス(社交ダンス)の
競技生活をしていました。
夫婦でペアを組み、仕事もプライベートの時間もずっと一緒。
ケンカが無いわけではありませんでしたが、それでも仲の良い夫婦で
私にとっては自慢の、そして理想の夫婦です。
母が亡くなった1月31日は、語呂合わせで「愛妻家の日」なんだそう。
お父さん、すごいね。想いが伝わったよ。
ねえお母さん、僕もあなたたちのような素敵な夫婦に、いつかなれるかな?
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