北陸新幹線がつなぐもの
2024.03.01 Friday
早いものでもう3月。
今年初ブログです。
2024年もどうぞよろしくお願いいたします。
年末の話をさせてください。
昨年の11月16日、私の父が亡くなりました。
こんな話ばかりで大変申し訳ないのですが、
少しばかりお付き合いいただけるとうれしいです。
11月の頭に父が倒れ、そのまま入院。
2週間ほどの闘病の末、息を引き取りました。
まわりに厳しく、一方で家族に甘い父でした。
いや、「そう思っていました」。
最期の別れの時に向けて、親戚に協力してもらい準備。
父が仕事でお世話になった人も弔問してくれました。
昔の写真を見ながら、色々な話を聞きました。
仕事仲間と一緒に海外へ旅行したこと。親戚の集まりでのこと。
私の知らない話を聞くうちに感じたことがあります。
「うまく表現はできなかったけれど、父はきっとたくさんの人に
思いやりを持って接していたのだな」と。
家族にはあまりにも直接的に愛情表現をしてくれ、
時にはうっとうしくなるほどでした。
その反面、「一緒に仕事する人にもそれくらい優しくすればいいのに」と
思うことがありましたが、厳しさの中にも優しさをしっかり
織り交ぜていたことがよくわかりました。
その優しさに、まわりの人はしっかり気づいていたようです。
2週間の闘病の期間、父には「生きる」ということを教わりました。
搬送時に「いつどうなってもおかしくない」と医師に言われ覚悟していましたが、
一時は状態の回復を見せてくれた父。
「優太。辛いけど、生きるっていうのはこういうことなんだぞ。」
言葉で聞くことはできませんでしたが、父から息子への
最後の教えだったように感じます。
28歳で喪主。
1年のうちに両親を失い、孤独を感じることもありました。
でも、人は一人では生きていけません。
親戚がたくさん助けてくれました。
ほんっとうにたくさん。
「戚」という字には「たよりになる、心配する、悲しむ」という
意味があるそうです。
突然のことに戸惑いながらも、いとこをはじめとする親戚は、
親のように頼もしく、親の代わりに私を心配してくれて、
一緒に悲しんでくれました。
まわりの人に思いやりを持って接していた父が遺してくれた、
一番の財産です。
2人だけで海外へ行ったなぁ。
駅と家の送り迎えは、どんなに寝坊しても
どんなに帰りが遅くなってもいつもしてくれたなぁ。
母が亡くなった後、国立競技場へサッカー観に行ったなぁ。
また一緒にフロンターレ応援しようって言ってたのに。
いろいろな思い出がよみがえります。
2024年3月16日。
北陸新幹線の金沢・敦賀間がいよいよ開業します。
私はその日、29歳になります。
関東の実家に両親はもういませんが、私を育ててくれた
大切なふるさとと、大好きな福井を一つに結んでくれる新幹線は、
かがやいた思い出をつないでくれる架け橋です。
お父さん、お母さん。すぐ帰れるようになったから。
また会いに行くね。