3・11被災地と能登半島地震
2024.01.09 Tuesday
能登半島地震では、今も被災の全体像がつかめないほど、各地で大変な日々が続いています。福井でも支援の輪が広がっていますが、いかに「平凡な日常」が尊いかを実感します。
実は、昨年末、東日本大震災の被災地・宮城県の気仙沼におじゃましました。
まず足を運んだのが震災遺構の「命のらせん階段」です。外付けのらせん階段は、
地元の方が1960年のチリ地震の教訓として、東日本大震災の約4年前に作られ、
日ごろから避難訓練も行い、震災当日 多くの命を救ったそうです。
そしてもう一つ、昔その美しい砂浜に感動した「大谷海岸」にも足を運びました。
三陸海岸は、各地で住民の命を守ろうと大きな防波堤が建設されていますが、
この大谷海岸は、地域の人たちが中心になり行政と対話を重ね、命と美しい砂浜の景観を守った貴重なまちづくりの事例です。青い海と青い空の大パノラマは、多くの地域住民の汗と努力の結晶だと実感します。
今回の能登半島地震の復旧・復興も 長く険しい道のりになりそうですが、
能登の人たちが笑顔になる日まで、隣県の福井県民として常に心を
寄せ続けたいと思います。
実は、昨年末、東日本大震災の被災地・宮城県の気仙沼におじゃましました。
まず足を運んだのが震災遺構の「命のらせん階段」です。外付けのらせん階段は、
地元の方が1960年のチリ地震の教訓として、東日本大震災の約4年前に作られ、
日ごろから避難訓練も行い、震災当日 多くの命を救ったそうです。
そしてもう一つ、昔その美しい砂浜に感動した「大谷海岸」にも足を運びました。
三陸海岸は、各地で住民の命を守ろうと大きな防波堤が建設されていますが、
この大谷海岸は、地域の人たちが中心になり行政と対話を重ね、命と美しい砂浜の景観を守った貴重なまちづくりの事例です。青い海と青い空の大パノラマは、多くの地域住民の汗と努力の結晶だと実感します。
今回の能登半島地震の復旧・復興も 長く険しい道のりになりそうですが、
能登の人たちが笑顔になる日まで、隣県の福井県民として常に心を
寄せ続けたいと思います。